こうやって簡単に月日はたってしまうのだった。

むかしむかしに書いた日記(今から5年も前のやつ!)をふと読み直せるのは、インターネットの良いところだし、だからこそ、こうしてキーボードを叩いているわけだけど。

わたしは記憶力が悪いので、自分の気持ちを整理したり、なるべく長く覚えていたいと思ったときに、日記を書くようにしている。読めばいつでも、その時々の感情を取り出せる手段として。そうして、次第に覚えていることすら忘れていくのが、生きることへの消化だった。だから、学生時代にこつこつ書いたあの文章を読んで、ここまで苦しくなるのは、自分がきちんと残してきた成果である一方、そこまでしなくても…と正直苦笑いしたくなった。とにかく、悲しい思い出よりも、楽しそうな、未来を疑わない様子が、こんなにも自分を苦しめることは、数年前の自分は想像していなかっただろう。 

2016年。2016年だ。とうに21世紀は過ぎたし、いつだって世界はめまぐるしく回っている。進歩している。発展している、のかな。もしかすると「今、この瞬間」を切り取れる方法も、日記という方法ではなく、また変わっていくのかもしれないと思った。「この」時が「あの」時に変わることはなく、いつだって好きなときに「今」へ戻れる方法が生まれるのかもしれない。でも今は、5年後のわたしのために、書き続けるしかないのであった。

結局最後は、いつだっておなじ結論。もう少し更新したいですね。